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2011年7月24日 (日)

時間かせぎ?

anarogu放送も今日の正午でもって終了しますね。
最後の時は中休み中なのでもちろんN○Kを見ながら感慨にふけようと思いますgawk

ところで気がつけば横浜まで一週間きっとりまして、
なんだか最近ネタ切れというか、モチベーション切れというかw
ジュリーネタはいろいろあるけれど、
なんたってcatの頭はトラでいっぱいということで、
やっぱりトラ関連やないとアカンやろ。という気持ちもありまして。


ワタクシ今になってもタイガース4年間の歴史ちゅーか軌跡をよくわかってないので(@_@)
年表を語りつつ、あくまでもワタクシの勉強用として、この場をおかりしたいと思います。
(※出典 タイガースCD-BOXより)

『ビューティフル・コンサート』から6年前の65年、遊び仲間だった京都の高校生4人組がベンチャーズのコンサートを見て「自分たちにも出来るんじゃないかな」とバンドを始めた。このバンドが発展し後のザ・タイガースとなる。

6月には、バンド名もサリーとプレイボーイズに決まり結成式が行われた。メンバーは、岸部修三(1947年1月9日生まれ/ベース・ギター)、森本太郎(1947年11月28日生まれ/サイド・ギター)、高橋克己(1948年2月4日生まれ/リード・ギター)、人見豊(1946年9月22日生まれ/ドラムス)。

練習は森本太郎の実家が日舞の師匠だったので、実家の稽古場を借りて行われた。
はじめのうちは、ベンチャーズの曲を練習していたが、日本でもビートルズやローリング・ストーンズなどヴォーカル入りの曲が受け始めていたので、岸部修三か高橋克己がヴォーカルを取り歌入りの曲もレパートリーに加えるようになっていった。

さらにしっかりしたリード・ヴォーカルの必要性を感じ始めたメンバーは、知人の紹介で京都のジャズ喫茶“田園”にレギュラー出演していたサンダースのリード・ヴォーカル、沢田研二(1948年6月25日生まれ/ヴォーカル)と会う。

すでにプロとして歌っていた沢田研二だったが、再三に渡るプレイボーイズからの誘いに’66年1月、バンド加入を決める。バンド名もファニーズに改名した。初練習曲は、デイヴ・クラーク・ファイヴの「ドウ・ユー・ラヴ・ミー」




きっと譜面なんてないやろうから、このレコードを聴いて音を頼りに創り上げていったんやろね。

先日のピーさんの講演会の中でも述べられていたけれど、学区が違ってたら出逢うことはなかったやろうし、つるんでなければ沢田ていうのが歌っているという情報や、田園に出入りしてたとしても見ず知らずの他人に声をかけることはなかったやろうし。

いろんな偶然からつながっていったバンドやったんやね。

こんな感じで横浜までつなげたいと思いますcoldsweats01
  

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Julie」カテゴリの記事

コメント

ジュリーもいろんな活躍をされてきたんだなと思います。まだまだがんばって!ジュリー!!と…応援しています。
お元気で、長く歌ってほしいと思っています。

投稿: hiromi | 2011年7月24日 (日) 12時19分

早く会いたいっすhappy01

投稿: Nasia | 2011年7月24日 (日) 23時04分

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