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2011年1月27日 (木)

やはりシメは

最近は夜の接客が終わってからミーティングがあるので、帰りが日にちをまたぐこともありますがw

でもやっぱり、こんな時もこうやってジュリーのことを書くことでシメたいアホなジブンがおるので、困ったもんやとcoldsweats01

こんな時(あまり考える時間のない時)もあろうかとw、山奥に「ザ☆スター」を持ってきまして、パラパラしておりましたら、タイガース解散の時のことについて触れている文章がありましたので、転記させていただきます。

話されたのが76年9月17日ということで、解散して5年ほどたっている時の心境

タイガース解散

 人には確かに別れがある。ぼくの長い話も最後になってしまった。ぼくは別れのひとつをまた体験することになった。
 人は別れというテーマをロマンチックに思ったり、美化して酔いしれることもあるが、やはり当事者にとってはつらい思いが先に立つものだ。
 いくつかの別れがあった。小、中学校の卒業式もそうだろう。しかし“蛍の光”に送られて涙したことはない。

 別れの実感としてこの胸に焼きついているのは、タイガースの解散である。

昭和四十六年一月二十四日、日本武道館のステージがぼく達の別れとなった。単なる悲しさとはいいきれない、説明のつかない感情に若いぼくは涙した。

最後の曲が近づいてくると、無意識のうちにメンバーの一人一人をふり向いていた。
 
お互いの音楽志向別によるグループ制の限界が解散の原因となったが、ぼくらにとってはそんなにクリアな仕事上の別れなどでかたづけられる問題ではなかった。それ以前にぼくらは友達だった。一人になってもどうにかなるさという気持ちと明日から仲間のいない生活の不安の間で、ぼくは何か手にしなければいられない状態だった。
 
新グループ、ピッグの練習に少しの空白も置かず入り込んだ。

 グループサウンズの復活ブームである。だがタイガースが集まることはないだろう。

 メンバーのそれぞれがなつかしい思いにかられ、自分自身の感情のために集まるのはいいかもしれない。だがテレビ出演などで人に利用された形で動員されることはイヤだ。

ぼくらは自分で決めた別れに責任を持ちたい。実際あの頃はよかったな、だけで集まれるものではない。トッポが、ピーが、全員がいなければタイガースではない。

それぞれのメンバーがいまはそれぞれの生活を営んでいる。必死である。だからといってタイガース時代を忘れているわけではない。

もちろんこの発言から35年近くたっているわけですから、ジュリーの思いも変わっている部分はあると思うけれど、根底の部分は変わっていないような気がします。

「全員がいなければタイガースではない」

具体的にうまく書けないけれど、夢かなってほしい・・・

自分が好きな人が思いを遂げられる姿を見て、それが自分にとってのシアワセだと感じられるから。

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コメント

ジュリーは本当にタイガースの解散は辛かったのでしょうね〜

それを見届けた(私は武道館は行ってませんが)私達よりもね。

あの涙が、
メンバーを振り向く姿が、
私の涙を誘います。

私もタイガースが大好きでした。

ピーが、トッポが
全員揃わないとタイガースじゃないです。

投稿: のりぴー | 2011年1月27日 (木) 09時57分

今日「ミヤネ屋」を見たり、先日の解散Lのシローさんを見たりして、やっぱ彼も必要な人間だと。

ドラマ出演の話もあるとかで、もっともっと元気になってほしいですが(口は達者ですのでw)

投稿: Nasia | 2011年1月27日 (木) 23時56分

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